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コラム41 緊急号外:北部九州豪雨の被害お見舞い〜「我が故郷は水郷柳川である」〜 2012.7.27

「我が故郷は水郷柳川である」と言ったのは、柳川出身の詩人・北原白秋ですが、私も柳川で生まれ育った「ごんしゃん」(田舎者)です。


その田舎を襲った北部九州豪雨に関する今の心境は、

●ばさらか(本当に)たくさんの雨の降ったごたるばってん(降ったようだけど)、矢部川の堤防のこわるっちは、いっちょん、思とらんじゃったね(壊れるとはちっとも思っていなかった)。

●ばいたあ(驚くほどにたくさん)、テレビの中継ば、やりよっちゃったとば見たばってん、ほんなごて(本当に)、おそろしかったばい。

●柳川にしかなか(柳川にしかない)うなぎせいろむしの有名かお店は、どげんなっとんじゃろか(どうなっているだろうか)。

●ばさらか大変ばってんが(本当に大変だろうが)、琴奨菊や民主党・城島国会対策委員長さんたちに、なんごつかしてもらわないけん(何とかしてもらわないといけない)。

といったところでしょうか。


ご案内のように、柳川は、秀吉の九州平定や朝鮮出兵、関が原の戦いなどで名を馳せた立花宗重を始祖とする立花家の城下町です。

立花宗重は関が原で西軍についたため一旦は浪人となりますが、その後、その知略と勇猛さが徳川家康にも認められ、見事、柳川城主に返り咲きます。

立花宗重は柳川の守りを固めるために、二重三重の掘割をめぐらし、敵の攻撃を受けた際には水門を開けて水城として防御する構えをとりましたが、それが、現在の「川下り」が楽しめる掘割になっています。

その後、明治維新まで立花家は城主として君臨し、かつての城主別荘は、今は「お花」という高級料亭ホテルとして観光地になりました。

その頑張りと粘りと根性(それは「やながわんもん」という自負に満ちた言葉にも表れていますが)を受け継いでいる柳川市民の皆さんの、復興に向けてのご努力に対して、遠くからエールを送ります。


もちろん、被害を受けたのは柳川だけではありません。

熊本県阿蘇市も熊本市も、大分県日田市も、福岡県八女市やうきは市も大きな被害を受けました。

今回の被害を受けた皆さまには心からお見舞い申し上げます。



2012年8月

代表取締役社長 清水 明

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